2005年4月7日木曜日

〔再録〕荷風、漱石、三島由紀夫の微妙な関係……新説ですぞ!


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荷風、漱石、三島由紀夫の微妙な関係……新説ですぞ!



ブログをやっていると、いろい ろ物知りの方に教えて貰うことが多い。三島由紀夫と漱石の地理的接点をこのエントリーで書いたところ、さっそくコメント欄で三木雄介大先輩から、荷風と三島由紀夫は親戚関係にある と教えて頂いた。お教え頂いた文献を読むと、確かにその通りだ。おまけに読んでいるうちにトンでもない仮説まで思いついてしまった。下世話な推測にすぎな いけれど、思わずにやにやした。


漱石と三島の接点については、 上述のエントリーでこう書いた:
三島由紀夫が生まれたのは、今の四谷4丁目。4丁目交差点の四谷寄り一つ目の横道を北に行って中程左 側。当時は男娼窟もあった。高級官僚だった父とこれまた高級官僚だった祖父(平岡定太郎)と同居していた。高級官僚がどうして男娼窟の近くに住むのかと言 うところだが、それが東京山の手市街構造の面白く複雑なところ。三島由紀夫はお手伝いさんに手を引かれて男娼窟の横を通って学習院に通った。

祖父の平岡定太郎は夏目漱石と東大で同期。スキャンダルで樺太庁長官を辞任してからはきな臭い商売に手を染めたりなんかした。漱石『それから』に出てくる 不倫相手の旦那(平岡)、及び『それから』の続編と言うべき『門』の安井のモデルであるという説が有力である。漱石自身、幼少期は四谷4丁目付近に養子に やられている。漱石と三島由紀夫には、かなり曰く付きの接点が存在する。

これに加えて三木雄介氏が指摘された点はこれ:
うろ覚えで書いたので、秋庭太郎の著作と言うだけで、出典を明らかにせず、申し訳ありませんでした。早 速調 べてみましたら、「永井荷風伝」でした。4〜5ページに、幕末の軍艦奉行永井尚志との関係が詳細に書かれ( この部分は他の秋庭著作にも多々引用されている)、「その尚志の養嗣子大審院判事岩之丞尚忠とその配松平高 子との間に生れた娘夏子が、樺太庁長官平岡定太郎に嫁し、その孫に平岡公威すなわち作家三島由紀夫があった 。」と書かれています。

何と荷風家の娘である夏子が平岡定太郎の妻となったと いうのである。平岡定太郎は三島由紀夫の祖父。ということは荷風と三島由紀夫は遠い親戚関係にあるということになる。

さらに面白いのは、この平岡定太郎が漱石に『それか ら』に出てくる平岡のモデルであるとするならば、この平岡の妻であり主人公の代助と関係を持った(らしい)三千代は、まさに夏子(旧姓永井夏子)に間違い ないところ。代助は漱石の分身であることは明か。とすると、漱石と夏子の間にも、何かあったのかも知れないのである。秋庭太郎氏によれば、夏子は泉鏡花の ファンであり、文学への関心は高かったという。天下の大作家夏目漱石に惹かれたとしても不思議ではない。

我ながら下世話な推測だと思うが、三島由紀夫は、永井 荷風の親戚であるばかりでなく、夏目漱石の「血」を受け継いでいる可能性も捨てきれないのである!

そんなことを考えて、今日一日、にやにやしていた。

Posted: Thu - April 7, 2005 at 07:21 PM   Letter from Yochomachi   永井荷風       Comments (10) 

1 件のコメント:

さにわしん さんのコメント...

おもしろい!!